以前(数年前)に頂いた質問への回答

Q.いっそ白痴になったら幸せでしょうか?

A.今年の夏に靴を捨ててしまいました。普通のスニーカーですが僕にとっては思い入れの強いもので、外を歩行する使途を飛び越えてしまった感が強く、その先端を覗き込むだけで鮮明です。でした。 何が鮮明かと言うと、およそ8年前、僕がまだ関西に住んでいた頃の話になります。当時流行っていた浮浪者のようなパーマネントスタイルの森下から電話があり、 僕は取り立ての免許でとあるカラオケボックスへ向かいました。23時の冬で星が澄んだ明るい夜です。通話の内容は「とりあえず来たらわかる」という 非人間あるいは元人間としか形容しがたい荒廃的なものでしたが、瞬間僕が今切れそうになっている原因は究極的にまで己自身にしかないのである、と仏も釈迦も裸足で逃げる真顔でとりあえず行った。 今となって改めて思うんだけど、森下はあの寒い夜に絶命した方が良かったのかもしれないと。口だけの約束が守られなくなり始めたのもちょうどその頃で、平たく言えば温度のある絶望のようなものだった。 ジャンキーと誇大妄想、宗教の勧誘と宝石売り。犬に噛まれても黙って笑ってる。笑うって楽しい。そういう類の隙間の欠落。が続く。
 机いっぱいに広がるカクテルパートナー。壊れたごみ箱の欠片を集める森下。アラジンみたいな靴のままその先端で笑った。笑うって楽しい。若者はいつだって嘆きの中にいるんだから仕方ないよ。わかるよ。 机の上の5000円で買えるだけのカクテルパートナーを買ってきてほしいと願ったので、僕はそいつを掴んで走った。早く警察に行かなくっちゃ。間に合わんやろこいつは既にどう考えても客体的に。 森下の髪の毛は影が焦げ付いた後みたいになってて、幾つかの隙間が水を欲しがる魚のような欠陥を生み始めていた。つまり意味がわからなかった。意味なんてものがあるとは思わないけれど、激情や不安など 外に出るものが一切なくなり、後退りあがなう心が持てない時がどういう状況だとかは馬鹿でもわかるだろう。例えば混沌の中に光がある。希望の先は霞がかり見えない。善悪の判断が付かないという馬鹿がいる。 どちらを選んで進んでいくかは明白である。アラジンは何らかの成り行きの中で既に精神的擁護の渦に居て、世の中にあふれる美しい声を聞こうとしないのだ。アルコール依存で死んでいく人間のただそれだけの映画を見たときに 思った事なんだけどね、うわーなんか痛そうってね。そんな有様。僕はカウンターを通り過ぎて外に出た。ささやかな駐車場には車が二台とバイクが3台。森下のバイクのチェーンは外れてて、ここまで押して歩いた感 たっぷりの光景が街頭に優しく映る。なんでチェーンまで外れとんねんと。さすがに笑うやろこれは。とりあえずここに来て、森下の言ったとおりの事がわかった気がした。少し迷ったけど中谷さんに電話した。カクテルパートナーを飲みながら。